認知症の人に寿司を注文してあげる時のポイントは?
間違っても言っちゃあいけないのが、『食べたい寿司、どんどん言っていって』
認知症じゃなかったら、
『わー、どんどん言っていったら頼んでくれるのね』と嬉しい展開になりますが…
認知症の人には、酷なテストになってしまうんですよ。
認知症の程度をはかるテストに野菜の名を上げられるだけあげていって…というテストがあるんですけど…まさにそれと同じになります。
別にこのテスト!野菜にこだわっているわけでもなく、
作った人が野菜ソムリエでもない!(笑)
べつに、寿司のネタでもいいわけですよ!この認知症のテスト!
野菜の名を挙げるテストでは、婆ちゃんは、『せり、○○…』とか聞いたことない野菜なんかを言っていて、不思議でしたね!
マニアックな野菜が2つくらい出て、止まってしまいましたね!
きっと、昔、子どもの頃から、摘んでた野草が出てきた感じです!
認知症が重くなるほど、子どものころのことがでてきますよね!
話は戻りますが、
じゃあ、こっちで勝手に頼んで前に置いていったら、いいのか?
これも良さそうですが、答えはブッブー!
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自己選択ができる環境づくり
勝手にどんどん頼んで置くだけでは、
認知症の人から自己選択の自由を奪うことになる!
じゃあ、どうしたらいいのか?
自分で選ばせてあげる!
じゃあ、メニューを渡したらいいのか?
字は読めても、多くの字や絵の中から選んでの注文は難しいんです。
写真で見たものか何かも難しい!
目の前に2つか3つくらい本物を見せて、
『この生海老食べる?こっちのホタテ食べる?』
選択肢を狭めてあげることが重要!
わざわざ、硬いイカやアワビを頼んだりはしないほうがいいですね!(延命治療拒否であっても(笑))
介護食というレベルじゃなくとも…
(まぁいいアワビを食べて死んでも本望かもしれませんがね…)
2つくらいの本物から選んでもらうというのを、毎回やるのもしんどいですので、
柔らかそうな握りセットを頼んでおくほうが楽ですがね‼️
まぁ、寿司どれを注文するかは、大して重要でなさそうですが、
生きていく上で、人にコントロールされずに選べるって、弱者のエンパワーメントにおいて、とても重要なんですよ!
寿司ネタの話だと、自己選択ってさほど重要じゃなさそうですが、
人権、エンパワーメントの基本のきなわけです!
自分が食べるものも、飲むもの、着る服も、行く場所も、住む場所も、次することも他人にコントロールされると、どうですか?
監禁されてるみたいになっちゃいますよね!
だから、自己選択の自由が重要なんですが…
自分が強い立場にいると、弱い人の選択の自由を奪うことに平気になっちゃうんですね!
だから、エスカレートしないように…
寿司選びも意外と大事なわけです!
認知症だと、自分の希望いうことすら、難しいんですが、
希望が言いやすいように周りが環境を整えることが重要なんです。
『何食べたい?』じゃ、答えられないんですが、
『どっち食べる?』と2つくらい見せると希望が言えるわけです。
希望が言いやすい形におとしこめるかが、
ポイントですね!
これも、いわゆる専門用語でいうノーマライゼーションですね!
認知症の人が普通に生きられるように環境を整えてあげるということ!
目に見えて選びやすいという点では、廻る寿司のほうがいいかもしれないですね!
『あの、玉子食べたい』とか見てうちの婆ちゃんも言うこともあります。
まぁ、現実的には、寿司屋に介護者が認知症の人を連れてくるだけで、ほんとに、えらい!
ワタミの宅食のほうが楽ですもの…
認知症の人についての倫理的な課題について、大学で講義するとなると、理想を語る立場としては、こういう感じになるかな?
ご参考まで…
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