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奴隷部屋のある家
若い頃、4年半程留学していたのですが、初めはジョージア州、そして北上してミズーリ州カンザスシティにいました。最後はさらに北上してミネソタ州。だから、あつ~いアメリカもさむ~いアメリカもよく知っています(笑)。奴隷部屋のある家に住んでいたのは、カンザスシティにいた時です。初めは台湾人と普通のアパートに住んでいたのですが、契約が切れて他の場所を探していたら、台湾人の友達が「古いんだけど、なんと1ヵ月200ドルの家賃の家があるよ」と教えてくれたんです。築100年以上でかなり古いと知ったのは、かなり後でした。築100年以上というだけあって、他の家と何だか雰囲気が違うんですよ。私は「風と共に去りぬ」が好きでしたので、南部の映画みたいな雰囲気のその家を一目で気に入りました。異国なうえにちょっとタイムスリップしたようで嬉しかったんです。アメリカのドアは今ではたいてい横に幅広いのですが(アメリカ人がハンバーガー食べてどんどん太ったから?)、とてもスリムなドアだったんです。1階には4部屋あり、台湾人一人とアフリカ人二人と住んでいました。そして、何故か大家さんは、ゲイの男の人で器用そうな人でした。
奴隷部屋は洗濯部屋
元奴隷部屋は地下にありました。外の小屋等に住む場合と地下に住む場合があったようですね。その部屋は展示用になっているわけでもなく、洗濯部屋でした。壁などのしきりはあまりなく、古いトイレがあるのが印象的でした。すべてが灰色の石でできている感じで、薄暗くそっと歩かないと余計な埃を舞わせてしまう。そんな場所でした。パラオに行った時の、旧日本軍の隠れ家にも似ていたような気がします。こんなところに住んでいたんだなと、奴隷解放を成し遂げたリンカーンの業績の偉大さを目の当たりにしました。「なんか、洗濯しにいくの怖いね~」そんなことをルームメイトと何度も言っていたのを覚えています。
結局笑い話ばかり
洗濯部屋には毎週のように下りていましたが、幸い幽霊に遭遇することもなく、ねずみやアフリカ人ルームメイトに悩まされるくらいですみました。古い家で衛生的に過ごすのは難しいですね。ネズミにも一度、クッキーを食べられてしましました。車がなくて買い出しは誰かに頼まないといけないので、貴重な食糧だったのに…。網戸穴が空いていていて、ハエが入ってくるから何とかしてほしいと大家さんに言っても、すぐ自分で適当に穴をふさいじゃうんです。ちょっと器用なのでね。なかなかプロにちゃんと頼んでくれないんですよ。まぁ200ドルしか払っていないから、贅沢は言えない身分だったのですが…。アフリカ人と住むのは噂通り大変でした。元は黒人の人と住まないほうがいいという中国人の友人の私的に、「まぁ、アフリカ人も色んな人がいるだろうから」なんて言っていたんですが、自分の考えの甘さを後で思い知らされました。結構、図々しい人が多いんですね。多分文化の違いなのかもしれません。私のパソコンを1回貸したら、私がいないときに勝手に部屋に入ってパソコンを取ってきて使ったり、私の服や靴を貸してほしいと言ったり。根負けして、服を貸そうとしたら、「この前買ってた新しい服を着させてほしい」とか(笑)。図々しいにもほどがある感じでした。トイレットペーパーを使いすぎるからと隠されたり…。今となればただの笑い話ですがね~。そんなことをちょっとこの独立記念日に思い出しましたよ。