いつも食卓は5品以上
物心ついた時から、食卓はいつも5品以上!切っただけのサラダなんて出てくることはなくて、サラダもカボチャサラダとかそんな感じでした! 父は味噌汁など子どもと食べたいものが違うので別メニュー‼ どこの家もそんなものだと思っていました!お友だちの家の夕飯をチラリと見て、「少ないな~」。別のお友だちの家に行っても、「あれっ少ない!」。そしてだんだんわかってきたんです。「うちのお母さん、料理作りすぎ‼」と。 うちの夫が実家に初めて食べに来た後に、「俺が来たからって、お母さん頑張りすぎ、豪華すぎ…」と。 「うちは、いつもあんな感じやねん」 「うそつけ~」と行っていた夫も、数年後には… 「ほんまやったな」と。(下手な大阪弁で)
うちの姉弟は汁物は最後
そんな家で育った私の兄弟が身に付けてきた習慣はお茶と汁物を最後まで飲まないこと。 大人になって三姉弟が集まった時に、「俺らお茶と汁物最後まで飲まないの、品数多すぎる家で生きていく上でしょうがなく身につけた技よな」と。
お好み焼きや焼きそばから
そんな何でも作れる母でも、小学校高学年に覚えたお好み焼や焼きそばが始まりだそうです。 じいちゃんが結核で入院していたために、婆ちゃんは調理師としてバリバリ働くようになりました。 小学校低学年の頃はさすがに料理ができないので、入院しているじいちゃんに缶詰や厚揚げとかの簡単なものと、ご飯を炊いてもらっていたそう。 病院でご飯が炊ける昭和な時代だったようです。 高学年からは、焼きそばお好み焼きを覚え、そればっかり作っていたそう。 だから、おじさん(母の弟)もそれが今でも好きなんですね。 小学校高学年、中学時代、母はクラブにも行けず、家事をするしかなかったそうです。 そのクラブに行きたかった思いを、今のスポーツクラブで解消しているとのこと。 介護の息抜きだけではないんですね~。
母とコラボで
そんな母のお料理の自己けんざんぶりはやっぱりすごくて… 若いときから、お料理番組を見て作り続け、 今も料理番組全部、速水もこみちさんのまで、撮って見て作ってってやっています。 色々な料理研究家の技を踏まえ、私はやっぱりこのやり方がいいというのが確率していてすごいです。 例えば、肉じゃが1つでも、この先生はこう、あの先生はこう、でもお母さんは、こうが一番いいと思う! みたいな感じです。 料理好きな人って、ほんと、ずっと作り続けてますね。 母が開いている教会のお料理教室は食べるだけもオッケーで、食べる側ばかり増えるらしい… 私が、一番、料理頑張っていたのは、アメリカ留学中美味しいものがない時かな~。 どちらかというと料理より、うんちくが好きですが、そればっかりも嫌がられるので、母の確率したものを認知症予防にアレンジしていきたいと思います! COOKPADのつくれぽが届くと嬉しいですしね~! 母は書いたり発信は得意でないので、その分を私が担えばいいかなと思っています。
母のレシピを母の業績として
母は教会のイベント等でお料理をしていたり、じいちゃんが結核で婆ちゃんはバリバリ働いていたから、クラブ活動はできず、家事に専念してきたわけなんです。
いつも縁の下の力持ち的な感じなんですよ。
確率してきたレシピをちょっとでも残せて、母の業績にもできたらな~と!
そんなことを思いながら、レシピを書いています。
作り手と書き手が私なので、手のこんだレシピはなかなかアップされませんが(笑)
よろしくおつきあいくださいませ‼